▼気づいてみると、日本の家族はしばしば、最年少者から見た続柄で互いを呼び合う。子どものいる夫婦は、互いを「パパ」「ママ」などと呼ぶ。夫婦の両親も、「おじいさん」「おばあさん」などと呼び合う人が少なくないようだ。
稍加留意就會發現,日本家庭中(大人間)互相稱呼時一般是指着孩子叫的。有孩子的小倆口,互稱為「爸爸」「媽媽」。不少小倆口的父母也是一樣,彼此稱呼「爺爺」「奶奶」。
▼仏文学者の河盛好蔵が、初孫を抱いた妻に「おじいちゃん」と呼ばれたときの戸惑いを書いている。「瞬間、おじいさんて誰のことだろうと思い、すぐ自分のことだと思い直すときの気持ちは、あまり愉快なものではない」(『おじいちゃま誕生』)。
佛文學者河盛好蔵第一次被剛抱上長孫的妻子稱為「爺爺」的時候不禁愣住了。「一瞬間,我在想:爺爺?誰是爺爺?當很快想到是指我自己時,心情很難用愉悅二字來形容」。(『おじいちゃま誕生』)
▼ときに家族でも微妙な呼び方を、ほかの人がするのはいかがなものか。本紙東京本社版の声欄で、「外で他人に『お婆(ばあ)ちゃん』と呼ばれたくない」という趣旨の投書が相次いだ。
就連被家裏人這麼稱呼,有時都會感到心情複雜,如果外人也這麼叫你,你又會作何感想呢?本報東京總社版的讀者來信欄目,就不斷地接到讀者來信,內容是有關:「不希望在外面被別人稱為『老奶奶』」。
▼「おじいちゃん」も同じだろう。親密さの裏に、軽んじる響きを聞く人もいる。80代の女性は、「日本人は繊細さを大いに持ちながら、社会的には無神経が折にふれて出る」と書く。最たるものが後期高齢者の呼び名、と続けていた。
「老爺爺」也是一樣吧。在有些人聽來,這帶有親密感的稱呼背後,卻迴響着輕蔑的聲音。一位80多歲的女性寫到:「日本人一方面緊緊握着細膩二字,一方面有時在社會問題上又會出現大大咧咧的情況」。接着她寫到:最為明顯的例子就是(政府將75歲以上的老人)稱為「後期高齡者」了。
▼それにしても、今年の流行語大賞は堅いような「後期高齢者」の不評である。〈老人と言われた頃の温かさ〉と本紙の川柳欄にあった。75歳の線引きにも問題はあろう。それにも増して、呼び名を甘く見た鈍感が救いがたい。
話雖如此,帶有生硬感的「後期高齡者」這個稱呼在今年的流行語大獎中頗受非議。本報的川柳欄中就刊登了(一條川柳):「被稱為老人時的溫馨感」。以七十五歲來劃分也有問題吧。最重要的是,人們對稱呼別人時的輕蔑感渾然不覺,這是無可救藥的。
▼逆風を和らげようと、政府は「高齢者元気プラン(仮称)」を取りまとめるそうだ。お年寄りの活躍の場などを聞かれ、首相は「お孫さんの面倒を見るとかね。そしたら保育ジジ、保育ババですか」と答えていた。言われて気分を損ねた人がいなければ、いいのだが。
據說,為了緩和反對之聲,政府正在歸納整理「高齡者健康計畫」。當被問及哪裏才是老年人展現自我的舞臺的時候,首相回答說:「照顧孫子之類的吧。這樣一來,就是保育爺爺,保育奶奶了嗎?」。真的會有人被首相這麼說還能做到心平氣和就好了,但是……
解說:
河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2000年3月27日)は、日本のフランス文学者•評論家。仏文学者としてはモラリストの著作を日本に紹介した。
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